ATTRACTION

 

 

圧倒的な存在感

恐らく渡辺謙の演技を一度でもちゃんと見たコトのある人なら、この人の圧倒的な存在感というものを少なからず感じたことがあると思う。
筆者がこの役者に衝撃を感じた一番の要因はこの「圧倒的な存在感」だった。
存在感のある役者というのは他にも何人も思いつくが、この人の場合は文字通り圧倒的(笑)なもので、独特な存在感なのである。彼にしか出せない存在感だろう。

例えば、北条時頼。
世間的にあの北条時宗という大河ドラマはお世辞にも評判が良いものとは言いがたいものだった。しかし、大河ドラマ好きの中には「この大河は前半は良かったのに‥」と思っている人たちが結構多いのである。「時頼時代は面白かった」と明確に感じている人が多いのである。この感じ方の原因の大半が渡辺謙の演じる時頼の存在だろう。彼の演じる時頼はそれこそ視聴者を釘付けにしてしまう程であった。

時頼を演じる渡辺謙のどこにそこまで釘付けにされたのか。それはやはり彼の放つ圧倒的な存在感だったと思う。あの大河ドラマには一癖も二癖もあるような人物、素晴しい役者が何人も出演していた。しかし、そんな人たちを黙らせるかの如く彼は存在していたように思う。もっと言うならあのドラマの雰囲気を支配しているかのようにさえ筆者には見えた。
渡辺謙のあの存在感や演技を「過剰」だと見る人も中にはいたかもしれないが、大河のように登場人物(しかも錚々たる役者)の多い中で、「過剰」だと感じる程の演技と存在感を出すコトは誰にでも真似のできるコトではないと筆者は思う。断っておくが、筆者は「過剰」などとは微塵も感じなかったが。

例えば、映画「溺れる魚」での御代田警視正。
あの映画における渡辺謙の存在感は本当に圧巻である。前半正体を明かさず顔を見せずの演出だったこの映画に、最初に警視正が姿を現したシーンで彼は異様な程の、それこそ得体の知れない(笑)存在感を全身から放っていた。筆者はあの映像を見た瞬間鳥肌が立った程である。
あんな異様な存在感をただその場に立っているだけで出せる役者など他にいないのではないか。

渡辺謙という役者は、ただそこに存在するだけでそれこそ他を圧倒する存在感がある。恐らく彼を喰える程の役者はほとんどいないだろう。殊にこの人と同世代の役者にいたっては、はっきりそれは断言できる。喰われるというコトはないにしても、彼を主役にした場合、対等に張り合うだけでも一苦労だろう。

 

 

 

 

 

カリスマ性

カリスマ性の有無‥これが渡辺謙と他の役者との大きな違いではないだろうか。筆者が役者にカリスマ性を感じたのは渡辺謙と、そして松田優作だけである。ただし渡辺謙と松田優作の醸し出すカリスマ性は異質のものであるというコトはわかってもらいたい。渡辺謙にカリスマ性を感じるのは演じている時のみである。トーク番組などで見せる素(だと思うが‥)の彼にはそういったものはあまり感じない。もちろん存在感やオーラはあるが。松田優作の場合は素でも演じている時でも常に"攻撃的な"オーラやカリスマ性を放っていた。渡辺謙の放つカリスマ性にははそういった攻撃的なものはほとんど感じない。(松田優作氏についてはこれぐらいにしておこう)

渡辺謙の名を世に知らしめた「独眼竜政宗」でも彼のカリスマ性を強く感じる。伊達政宗という人物はあの大河ドラマ以来信長や秀吉並みに戦国時代の人気キャラ、英雄的人物のようになった感がある。しかし、伊達政宗の資料を読む限り、それ程英雄的な人格の持ち主とは思えない。(政宗についてはまた別の場で語りたいのでココでは多くは述べない)

そんな伊達政宗という人物がなぜ視聴者の目にあれ程の英雄/ヒーローとして映ったのか。その要因は、渡辺謙の全身から発するカリスマ性に拠るところが大きいだろう。もちろん山岡荘八の美化度の激しさもあるし、ジェームス三木の脚本の素晴しさもある。しかし、どんなに周囲から御膳立てを用意されても、演じる役者が普通の人では、あれ程鮮烈な英雄像を視聴者に植えつけるコトはできなかっただろう。
何年か前にある役者が同じ山岡荘八原作の「独眼竜政宗」で、政宗役を演じたコトがあった。しかし残念ながら、その役者の演じる政宗からはそれ程ヒーロー的なものを感じられなかった。

筆者は何もあのドラマの人気が渡辺謙で維持されていたとか、彼が視聴率を稼いだとか、そんなコトを言いたいわけではない。ただ彼が政宗を演じていなかったら恐らく「政宗って意外と凄い人物だったんだなぁ‥」程度の印象だっただろう。

壬生義士伝での吉村貫一郎においてもそれが顕著だった。吉村貫一郎というのは、(剣の腕は凄いけど)ポンヨリした(?)キャラクターである。ヒーロー的な雰囲気のある人物ではなかった。浅田次郎の原作においては。しかし、なぜか渡辺謙の演じる貫一郎にはヒーローっぽさが漂っていた。あれも彼のカリスマ性の結果だろう。ただし原作のイメージを壊すようなコトはなかった。
原作の全くヒーロー然としていない人物に、彼のカリスマ性が加わってヒーロー的な吉村貫一郎という魅力的な人物に出来あがった‥そんな感じである。

時頼の場合でもカリスマ性が大いに感じられる。曲者だらけの北条一門も、あれだけカリスマ性のある時頼が仕切ったら誰もが従うしかない。説得力ありまくりの執権北条時頼だった(笑)。

カリスマ性というのは努力すれば誰にでも出せるというものではない。ある種持って生まれた能力だと筆者は思う。実際、この人は若い頃からそういうカリスマ性を放っていた。そして渡辺謙の場合、年々カリスマ性に磨きがかかり、とてつもなく権力者の役がハマッてしまう役者になっている。こんな役者はめったにいない。しかし、(渡辺謙自身がどう思っているかはわからないが‥)逆に役者としての柔軟性を希薄にしてしまっているという印象が強くなった。
それに関してはまた別の箇所で述べたいと思う。

 

 

 

「華がある」というのは人によって定義の仕方が微妙に違ったりする特質だと思うのだが、ここではあくまで筆者の定義で語らせてもらう。

華のある役者というのは最近あまり見かけない気がする。昔は主役を張るような役者には大抵華やかさを兼ね備えている人が結構いたと思うが、今の多くの役者は、どこにでもいる普通っぽさというのが受けているように感じるし、少なくとも筆者の目から見て「華のある役者」というのは本当に少ないと思う。
役者にとっての華というのはそういう普通の一般人との大きな差を感じさせるものである。

渡辺謙という役者は、その「華のある役者」のひとりである。彼がブラウン管やスクリーンに登場すると、画面の雰囲気がガラっと変わるのである。スクリーン栄えのする役者というのが一番しっくりくる言葉だろうか。

彼の持つ"華やかさ"というものを、もっとも強く感じたあるシーンを紹介したい。大河ドラマの「独眼竜政宗」での政宗の小田原遅参でのワンシーンである。
遅参で秀吉を怒らせたため、少しでもその怒りをそらせようと工夫を凝らして、政宗は死に装束で秀吉と会うのであるが、筆者のいう印象的なシーンは政宗が死に装束で秀吉と面会の前に、家康や利家の面前に初めて姿を現すシーンである。このシーンのコトを覚えている人はいるだろうか‥。
家康や利家らが集まっているところへ、浅野長政が政宗が参ったと告げた後に、渡辺謙演じる死に装束姿の政宗の登場に筆者は目を奪われた。真っ白な着物姿というコトもあったのだが、それよりも彼が画面に現れたときの姿の華やかさに目を奪われたのである。
一瞬にしてその場の雰囲気が変わってしまったのである。また彼の立ち姿が非常に威風堂々としていて、素晴らしいものであった。死に装束なのだから華やかという言葉で表現するのはふさわしくないかもしれないが、しかし筆者は、あの政宗の登場シーンで彼の華やかさを見せつけられた、という感じがした。
総集編にも収録されているシーンなので興味があればビデオでじっくり見てもらいたい。

渡辺謙が画面に映るだけで、その場の空気や雰囲気が一変する。それはこの人の持つ独特の華やかさによるものだろう。

 

 

 

 

 

眼光の鋭さ

渡辺謙の圧倒的な存在感と共に、この人の魅力で象徴的なのがこの「眼光の鋭さ」である。過去に、共演した勝新太郎が渡辺謙について「とにかく眼がイイ」と語ったというエピソードがある。眼力の良さというのは役者にとって最高の誉め言葉に値すると、筆者はどこかで耳にしたコトがある。

ただ眼が大きいというのではなく、彼の眼には視聴者が吸い込まれそうになる何か惹きつける力がある。独眼竜政宗では隻眼で片目だけでの演技なのだが、あの若さで片目だけで見ている人を引き付けるような眼の演技というのはなかなか容易にできるものではないだろう。彼の演じる政宗の左目にそれこそ吸い込まれるような感覚になったものである。渡辺謙が当時「独眼竜政宗」で主役に大抜擢された最大の要因は彼のあの眼力の凄さだったのだと思う。

時代劇などの方がそれが顕著なのだが、現代劇においても彼の眼光の魅力は現れている。彼がが画面に現れた時に一番最初に引き寄せられるのはやはりこの人の眼である。眼光の鋭さといっても演じてる中で、いつも何かをにらんでいるわけではない。非常に秀逸なのは、彼が眼だけで、悲しみや悲壮感を表現できるコトである。壬生義士伝でのこの人の眼の表現には舌を巻いた程である。そこに筆者は一番引き寄せられているのかもしれない。

渡辺謙のギョロっとした眼の中には、鋭さだけでなくあらゆる複雑な心情を感じ取ることができる。非常に魅力的な眼力である。

 

 

 

 

        

颯爽とした動き

渡辺謙は世間一般的に2枚目の役者として通っている。事実、筆者もそう思う(笑)。特にこの人の若い頃の映像や写真などを見ると、本当にカッコイイ。いわゆる"優男風"ではなく、男っぽい風貌で「男前」という形容がピッタリである。あの身長であの顔なら目立つし、周囲もほっとかないだろう‥みたいな外見なのである(笑)。ただ、年齢を重ねていくうちにインパクトと凄みが増し、ソフトさに欠ける風貌なので、かなり好みが分かれる外見になったような気がする。

筆者は今現在の渡辺謙を見ていて、彼のカッコ良さというのは外見的なもの以上に、全体的な雰囲気や存在感、仕草のカッコ良さなのではないかと思う。顔よりもこの人の立ち姿やひとつひとつの動作、醸し出す雰囲気がカッコイイ。
実際、筆者は彼のアップショットよりも、細かな仕草が見える全身ショットの方が好きである(笑)。

例を出そう。ドラマ「こちら第三社会部」(このドラマはそれ程好きではなかったので全話見通したわけではないが)でのワンシーン。渡辺謙が2人の娘に買ってきたアイスクリームをサッと渡して、そのまま椅子に腰掛けるというシーンがあった。
恐らくこのシーンを覚えている人はほとんどいないかもしれないが(そんなのを例に出すなと言われそうだが‥笑)、筆者はなぜかこのシーンをはっきりと覚えている。彼のちょっとした動作がとてもカッコ良くみえたからだ。
このシーンに限らず、彼のちょっとした動作や仕草に引き付けられるコトがよくある。渡辺謙のこうした細かな仕草の魅力は現代劇の方でよく見受けられる。
時代劇の場合だと存在そのものがすでにカッコ良く見えてしまっているんで、あまりこういった細かな仕草にまで目がいかないだけなのかもしれない。(斬九郎を演じている時は、細かな仕草にも注目できたが)

細かな仕草だけではない。立ち姿や歩き方も非常にカッコ良く見える人なのである。なぜか?彼の動きには(別のところにも書いたと思うが)全くムダがなく、颯爽としているのである。なよなよした所など微塵もなく野性的だが、下品でなく本当に颯爽としていて見ていて気持ちが良いぐらいである。あの颯爽とした動きで演じるので、余計に見入ってしまうというところがある。役者・渡辺謙のひとつの魅力だと筆者は思う。

渡辺謙が権力者や人の上に立つような役柄が似合うのは、カリスマ性だけでなく彼の颯爽とした動きのためだろう。迫力があるといっても、この人の持つ迫力というのは柄の悪い迫力ではない。外見にソフトさがあまりないのに、粗暴な迫力ではなく(稚拙な表現だが)善の迫力が感じられるのである。
やはりそれは彼の颯爽とした動きの良さがが大いに関係しているからだろう。
これはこの人特有のモノだと思う。そこがまた筆者にとって非常に興味深いモノなのである。

 

 

 

 

 

渡辺謙の声は"役者として"非常に魅力的である。何故"役者として"と強調したかというと、例えば声優としての声の魅力とはまた別物だからである。実際筆者は、彼(の声)はあまり声優には向かないと思う。
以前「風と共に去りぬ」のレッド・バトラーの声をやっていたのを聞いたコトがあるが、終始声質に違和感を感じて、最後までそれが気になってしまった(苦笑)。

声優というのは声が一番の魅力であるという人が向いている。例えば津嘉山正種のように声だけで十分魅力的な人‥いわば、その声だからこそ本人が魅力的に見えるという人である。渡辺謙はそういうタイプではない。確かにイイ声はしているが、それは"渡辺謙の声"だからこそ魅力的に聞こえるのだ。クラーク・ゲーブルの顔や雰囲気と渡辺謙の声では少々ズレがあるし、彼の声の魅力も半減するだろう(笑)。ただし、彼が舞台などでそれこそレッド・バトラーを実際に演じれば、恐らくめちゃくちゃカッコイイとは思うが。

そもそも彼は声や台詞で芝居をする人ではなく、表情や感情など身体全体で芝居をするからこその魅力がある人である。彼の表情が見えなければ彼の吐く台詞には魅力が無くなる。
こんな風に声優には向かないと述べてきたが、じゃあ何が魅力的なのだと責められそうだが‥(苦笑)。

筆者の言う渡辺謙の声の魅力とは、特に彼の絶叫した時の声のコトである。
渡辺謙の絶叫声が好きだという人がマニアっくではあるが(笑)、結構いるんじゃないだろうか?例えば「独眼竜政宗」の時に先陣きって味方の兵に「押し出せー!!」と号令を発するシーンがあるが、の声の響きがもの凄くカッコイイのである。
大河ドラマの戦国モノだと結構武将役の人が絶叫するシーンが結構あるのだが、渡辺謙の声が一番カッコイイと思う。腹から声は出ているのだがコブシのような(?)妙なビブラートがかかっていたり、上擦ったり、普段話している声のキーよりも高くなっている人が多い中で渡辺謙の声はストレートに響く。彼の絶叫したときの声には一切ブレがない。それが凄くカッコイイ声になって、聞いているこっちはスカッとする。

他に「北条時宗」でも絶叫シーンに印象的なのがあって、普段はあまり感情を剥き出しにするコトの少ない時頼が、讃岐局が涼子を締め上げたと聞いて激高するシーンがあって「ワシの言うコトが聞けぬなら、鎌倉から出て行ってもらうからな!」と怒鳴りつける時の声も非常に筆者の印象に残っている。怒鳴られる方はさぞかし恐ろしいだろうなぁ(シミジミ‥笑)。

「池袋ウエストゲートパーク」でも連行したG-BOYSの一人に「イヌ!」と言われて横山がぶち切れる時も、そう。物凄い迫力で怒鳴るもんだから‥めちゃ恐いんだけど、これまたストレートな声で絶叫するからカッコイイんですよ。

でも一番彼の絶叫する声で印象深いのは「炎立つ」で藤原経清を演じていた時の、最期の鋸引きのシーンである。鋸引きという惨忍な方法で首を斬られるという場面なのだが、経清の元従者であった瀬田剛介が鋸引きに躊躇していると、経清が早く潔くやってくれというように剛介に「引けーッ!!」と絶叫するというシーンである。彼の表情やそれまでの頼義とのやり取りもあって、その「引けーッ!!」と叫ぶ声に筆者は胸を締め付けられた。彼の絶叫する声には死を迎える悲壮な感情がほとばしっていて、それが見ているこちら側にヒシヒシと伝わってきて、どうしようもなく胸が苦しくなったのである。あの時のあの声が渡辺謙の声ではなかったら、筆者はここまでその胸を締め付けられた時の感情が鮮明に残ることはなかった。その時の彼の絶叫声はただカッコイイというだけのものではなかった。本人の心情がモロに手に取るように伝わってくるような、そんな声であった。(このことを上手く言葉で表現できない自分の文筆の稚拙さに段々腹立たしさを覚えてくる‥苦笑)

渡辺謙の絶叫した時の声というのは声がストレートに響くだけではなく、役者本人の感情や心情そのままがストレートにこちら側にガンガン響いてくるのである。だから、筆者は彼の絶叫した時の声が好きなのである。役者として"の彼の声はやはり非常に魅力的であると実感する。

 

 

 

 

 

色気

筆者はそれまで渡辺謙に色気がそれ程あるとは思わなかった‥というより気づかなかったというのが正しいか。最初に見たのが伊達政宗役でその時は色気どうこうよりもとにかく、どこを切っても"精悍"な役者という認識であった。だから彼に対しては最近までそういうイメージばかりが先行していて色気みたいなものはあまり感じなかった。

例えば色気のある役者というと佐藤浩市や椎名桔平がパッと頭に浮かんでくる。あの二人は物凄い色気があると見る度に感じる。この二人を筆者は"歩くフェロモン"という渾名を勝手につけている(笑)。それぐらい彼らの色気は凄い。
彼らに比べると彼にはそんなに色気は感じなかった。彼の場合はラブシーンもあんまりやらないし、そういったフェロモンを必要以上に出すこともないか、とも思っていた。

しかし、北条時頼を演じている渡辺謙を見て彼の色気を「これでもか!?」というくらいに気づかされた(笑)。渡辺謙の演じる時頼は色気出しまくりで、特に剃髪してからが凄いのだ。フェロモンを出すというよりも撒き散らしている状態…。出家しているのでもちろん女性との絡みがあるわけではない。なのに、始終ずっとフェロモン放出し放題であった。それを見てから筆者は「そうか今までこの人の色気に気づかなかっただけなのだ。」ということに気づいた。それに今までストレートな役が多かったから、そういう色気みたいなものを感じ取りにくかっただけで、アクの強い役柄をすると途端に彼の色気は噴出するようである。(それにしても、この北条時頼という役は渡辺謙の魅力の宝庫である。やはり筆者にとってはこの役が一番好きだ。)

そして彼から漂ってくる色気というのは何というか非常に禁欲的なもの‥ストイシズムな色気だということにも気づいた。
剃髪してから一層色気を感じたのはストイックな人物だからこそ、それが逆に彼のストイシズムな色気に拍車をかけたのだ。渡辺謙の場合は禁欲的な雰囲気になればなる程色気がどんどん出てくる役者なのである。
逆にやたらとラブシーンが多かったりすると意外と色気が薄れてしまうのかもしれないな‥とも思った。なので佐藤浩市だとか椎名桔平とはちょっと違う色気のような気もする。色気に種類なんかないと言われると‥微妙だが。

常にストイックな雰囲気とストイシズムな色気なのでイヤラシさがないのだ。だから反って筆者は気づかなかったのかもしれない。‥気づく人には早くから気づいていたのだろうけれど。

それでもやはりこんなに色気が出てくるようになったのは年齢を重ねてきたからだろう。彼の場合はアクやクセの強い役というのがこれまでほとんどなく、最近になって徐々にそういう役をやるようになった。色気を感じやすいアクやクセの強い役を筆者は渡辺謙に今後もっともっと演じてもらいたいと思う。
もっと言うならクセがあって禁欲的なら筆者の欲求は完全に満たされるわけなのだが‥(笑)。

 

 

 

 

 

素顔

筆者はあくまで渡辺謙の"演技"が好きなのであって、本人のプライベートな部分だとか私的な側面にそれ程強い関心があるわけではない。しかし、そうは言っても彼に注目している限り本人自身の素の面も目にするわけで、きっぱりと一線を引けるわけではない。筆者が渡辺謙の演技に興味をそそられるのは本人の役者としての姿勢やスタンス、演じた時とのギャップの存在があるからだろう。
渡辺謙の"素顔"もまた役者としての彼の魅力のひとつになっているのだと筆者は思う。

彼の素顔‥といっても筆者は渡辺謙自身と面識があるわけでもないし、本当の素顔というのはわかりようがない。ここで言う"素顔"はあくまでも役を離れている時のブラウン管越し・雑誌やそれ以外のインタビューなどでの受け答えの様子から垣間見れる側面のコトである。彼がもし役から離れていても常に自分を演じる人であるならば、その側面も実際には"素顔"ではないのだけれど、それは深く突っ込まないでもらいたい(苦笑)。

役から離れている時の渡辺謙というのは、良い意味でホントに"普通の人"という感じがする。気取ったところや、大物ぶったところなど微塵も感じられない。周囲は渡辺謙に対して年齢の割にはかなり大物扱いしている。‥というか、30代の頃ぐらいからすでに大物のように扱われていた様な気がするのである。(今の30代の役者と比べてみるとそういう思いがある。)そんな中でも実際は全くと言っていい程大物ぶったり、気取った発言や態度など見たことがない。ただし、周囲が発するオーラとは明らかに違うので、そこには普通の人との違いは大きくあるけれど。

トーク番組だとかそういう類のもので渡辺謙を見ていると、彼はホントに三枚目の人だなと思う。キザな面がありそうなのに…ない。話自体も上手いし、面白い。ノリもイイ。で、非常に茶目っ気のあるお人。共演者からも「謙さんはお茶目な人だ」という声もちらほら‥。いつも演じてる時は目が鋭いのだが、笑った時の顔が何ていうか凄く悪戯っぽい目になることが多くて、ホントの渡辺謙の地はこっち(悪戯っ子‥笑)なんだろうなと思わせられる。

そして何といってもこの人は無茶苦茶真面目で素直で謙虚な人柄だと思う。自分の思ったことをオブラートに包んだりせず素直に発言するし、表現する。そんな渡辺謙の"素顔"をつい最近強く再認識することが出来た。つい最近放送された日本アカデミー賞(2003年)の受賞式でのことである。
彼は昔から山崎努を尊敬していると言い続けている。若いまだまだ駆け出しの頃ならともかく、すでに自身も役者としてちゃんとした地位を築いているにも関わらず一人の同業者の役者をずっと尊敬していると公言し続けていること自体も珍しい気がするが、その日本アカデミー賞の番組で山崎努本人の前で(中継飛ばしてたけど‥)恐縮しまくりで、ホントに心底尊敬しているというムードが公共の電波を通して!?(笑)伝わってきたのである。
あの時の渡辺謙の様子を見て「何て正直でわかりやすい人なんだろーか。」と感心(?)してしまった。普通は割りと平静を装ってか‥はわからないけど、ああいう場では淡々と反応しそうなものだけどホントにこの人は素直な人である。そもそも普通ならああいう場を提供されること自体を嫌がるかもしれない。
この人は自分が大物だという自覚がまるでないんじゃないだろうか‥(笑)。‥まぁ自覚され過ぎても困るけれども…。なので、こういう彼の姿を見ると逆に、周囲はあまりこの人を大物扱いしないで欲しいと思ってしまうのである。

それともうひとつは真田広之がそこで最優秀主演男優賞(「たそがれ清兵衛」)に受賞された時である。渡辺謙がすぐに真田氏を祝福して抱きしめていた。あの瞬間、渡辺謙のことをあまり知らない人から見たらかなりビックリするかもしれない。普通の人(日本人)はなかなかああいう祝福の表現をしない、というよりは出来ない。でも彼はああいうことを自然にふつう〜に出来てしまう人なのだ。何度か(ブラウン管を通してではあるが)渡辺謙の役から離れている時のリアクションや動作を見ていれば、あんなのは「あぁこの人にとっては普通のことだろうな」と思えてしまう(笑)。「ラストサムライ」の製作会見の時でもそうだったし。別にあれはアメリカナイズされたわけでもなんでもなくて、彼にとっては極めて自然な行動だったと思う。要するに思ったらすぐに表現してしまう人なのである。言葉でも身体でも(笑)。

少しぐらい気取ってくれてもいいんじゃないか、と思うくらいの彼の正直で裏表のない、斜に構えることの全くない"素顔"が筆者は凄く好きである。彼のこういう"素顔"の部分も含めて渡辺謙という役者が好きだという人はきっと少なくないはずである。でもあんまり素の部分を晒しす過ぎいでください(笑)。役者はどこか素顔の見えにくい所がある方が見てる側は何の先入観も持たずに作品や演技にのめり込みやすいものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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